当時私のおじいさんは18歳でその戦争に行ったが一週間目でケガをして(手の指を撃たれたらしくて…確かにその指も微妙に短いです!)戦地から戻ったという。
日本軍の飛行機が毎日毎日ハラハ・ゴル(戦争があった場所の名前)の空いっぱいになって、本当に怖かったみたい。
たくさんのモンゴル人も日本人も命を落としました。おじいちゃんはもちろん当時日本人が大嫌いだったことでしょ?
でも、おじいさんの考えを変えたある出来事が1945年に起きました。
中国に負けた日本軍をモンゴルやロシアのシビリアに列車や歩きで何ヶ月間かけてモンゴル兵やロシア兵が連れて行きました。無理やりだけど…
日本軍は何千人もいたことでしょ?
もちろん軍の偉い人たちも何人も奥様を連れて行っていたとか…
お雨の日も風の日も、暑い日も寒い日も、じいさんは歩きでモンゴルへ連れて行く方に行かされて、嫌でも千キロ以上のところを日本軍と過ごしました。
あまりにも疲れ果てて、お腹を空かした日本人は土をほって何か草や花の根本を食べているのを見て本当に可愛いそうで、ある日モンゴル軍の食事のために殺めたばかりの羊の内臓の腸をおじいちゃんが仲間に隠しながら日本軍人たちへ投げたら、受け取った日本人たちはものすごく喜んで食べ始めた。羊のふんを取っただけで、洗ってもなかったのに。(洗える状態でもなかったみたい)
それを見たモンゴル軍の誰かがおじいちゃんのことを上に伝えてしまって、「敵に許可なしで食べ物を与えた!敵を仲間とした!」ということで一週間モンゴル兵の刑務所みたいなところに入れてしまったとさ。
おじいさんがこう思った…↓
「確かに、かかって来たのが彼らだけど、敵なんて誰だって同じ母親から生まれて、家族に育てられ、故郷、大切な人々すべてを置いて、国の偉い人たちの命令で戦地に訪れるんだ!好きで銃を持って、好きで人を殺して、好きで死んで行くんじゃない!
この若い日本軍人たちも俺たちと何が違うというの?
みんな人間なんだ!
今の私と同じ25歳の若い兵士、後のダリーの大好きなおじいちゃんだった…
あれから、55年経ち、17歳の孫の私が日本語の学校に入りたくて、おじいちゃんにきっと許してもらえないかな?と怖がりながらも聞いたところ
怒るところか、「日本人があなたにいいことをしてくれれば、あなたも同じくいいことをしてあげるんだよ!」「ところで、前から思ったんだけど、
昔、川で木を切って「いかだ」を作っていた日本軍たちはちょっと目を離せば川に飛び込み自殺しようとしてたんだ!その日本人たちにお前の顔が結構似てるし、もしかして、あの死んでいった日本軍人たち誰かの生まれ変わったものじゃなかいか?うふふ…
この話を聞かせてくれました。
おじいちゃんは今でも元気に生きているよ!
コメント
コメントを投稿