今日、フェイスブックの知り合いからある質問が来た。
「ダイリィは幼い我が子たちに英語を覚えさせたい派ですか?その反対派ですか?」
これは子育て中の現代人の問題の一つでもありますよね?
そして、答えを書きながら、自分は
賛成と、反対の両立場であることを発見した。
その理由は:
①反対
英語は世界共通の言語でもあるが、英語が母国語の人間ではなければ、必ずしも
幼い時期から無理に覚える必要はない。
子供は6歳までに自分の母国語の60パーセントを覚える…とどこかで読んだか、聞いた記憶がある。(ずいぶんいい加減な説明ですねw)
毎日体と心が育つと共に成長していく言葉の力で
世の中のもっともっと大事なことを学んでいく我が子たち。
挨拶、家族とのふれあいや友だちとの遊びを通じて付き合い、いわゆる人間関係などなど…。
生活リズム、ニッポン人としての季節を感じる習い事や習慣も。
きちんと身に付けなければならない習いことはたくさんある。
私は現在2児の母ですが、自分の母国のモンゴル語ですら教えていない。
使わないのにぐちゃぐちゃ覚えたって、いつか、忘れるに決まってるし、
そんにモンゴル語が必要なら大人になってモンゴルへ行って生活をすればいいのでは?
英語だって、一緒。
わざわざ間違った(失礼)ジャパニーズ・イングリッシュを覚えなくても、大人になったら思い切って英国や米国へと海を渡ればいい話だ。
実際、自分の体験話をしてみよう。
日本と同じくモンゴルの中学校も大体12歳あたりから第二の言葉として外国語を習わなければならない。
私が習った90年代当時はロシア語が中心でした。
本来なら生徒たち誰もが選ぶ権利があるんだから私は英語を選択することが出来たが、身勝手な先生によりロシア語教室に入れられた。
本来なら生徒たち誰もが選ぶ権利があるんだから私は英語を選択することが出来たが、身勝手な先生によりロシア語教室に入れられた。
私は17歳で高校を卒業するまでロシア語を習い、テレビドラマやアニメーションぐらいは何とか理解できるレベルになった。
しかし、高校を卒業し、大学で日本語を選択して以来、100%まったく(こんな言い方はないと思いますが…w)ロシア語にふれなくなった。
ロシア語を使わなくても生活が出来たのも一つの理由です。
、
、
逆に幼い頃から超憧れてきた日本語は習い出して10年目あたりからなんとか日常生活には不自由なくなってきた。
それは、小学校から国語の授業に長く触れ続け、主に文学の本を好んで読んでいたことも大きな影響を与えたような気もしなくはない。
まずは我が子には英語より母国語をしっかりと教え込むことが一番大事なのではないでしょうか?
その理由
②賛成
英語は世界共通言語でもある為、集中力や記憶力に優れた幼い時に仕込めば…間違いなく簡単に身に付くことでしょう?
子供の脳は吸い込むテッシューのように、正しく教えることさえすれば、大人になってから別のエネルギーを使わないで済む。
むしろ、すでに文学をはじめ、色んな本を読めて、同年代の人間より知識的にも先に進むに違いない。
ここでも、一つ例を。。。
大学の同級生の女の子が小学校から高校を終わるまでウランバートルのロシアスクールに通ってたのか、ロシア語を完全にマスターしてた。
・・・というのは、彼女は授業の合間を縫って、よくロシア語での小説らしき本を読んでるのを見かけたことがある。
でも、彼女は見知らぬ言語を途中で挫折してモンゴル式小学校へ転校しなかったとしたら、
どこか、語学を学ぶ楽しいコツをも覚えたってことになるのではないか?
そうそう、そこなんですよね?
楽しく学べるコツを小さい内に身に付けることが大事だ。
このように考えれば賛成をせざるを得ないような気がしてくるんです。(笑)
、
、
やっぱり、最終的に考えれば子供には子供のやりたいことがあるんだから、その道を尊重して、親なりの応援をしてあげればいいのではと思います。
ちなみに、我が娘は今新体操を喜んで習っています。
または、保育園に定期的に来るアメリカン先生の許で少しずつですが、楽しく英語を覚えています。
しっかり、覚えることを子供に期待するより、
習い事そのものを、しっかり楽しみ続ける、諦めない心を覚えさせたい。
どんな習い事であれ、好きなことには苦痛を感じないからね。
我が子を優しく賢く見守りながら、その将来をも素敵な人生に描こうではないか?
コメント
コメントを投稿