2012年です。
明けましておめでとうございます。
昨年という昨年は生きてきた中で一番大変な思いや経験の多い年でした。
...ご存知の通り、3月11日...
東北に起きた太平洋大地震と大津波。
東京電力の福島第一原発で起きた水素爆発の影響...
想像を絶する出来事がこの日本で起き、同じく日本に住むものとして
こんな近くでたくさんの人々の命や人生が犠牲になるのを見て、感じて
心を痛めない人はいなかったと思います。
農家をやっている我が家にとって一番大事な時期でもあった当時は被災地に行ける訳でもない状況の中で、辛くて悲しくて、涙を堪えながら新聞やテレビを見つめ、コンビニの募金箱に何百円を何回か入れてあげることしか出来ない自分がいた。
きっと、私と同じ人は多かったことと信じたい。
そして原発事故の放射能から逃げて14日の午後宇都宮駅から新幹線に乗り、名古屋市に住んでいるモンゴル人の友だちの家へ二人の幼い我が子を連れて一時避難をした。
いったいこれからは我々の生活はどうなってしまうのか?
原発は大丈夫なのか?もっと危ないのか?
「直ちに安全だ」ってことはどこまでの話か?
私は、このままモンゴルへの飛行機でに乗るべきか?
残してきた主人と母のことはどうなってしまうのか?
これが、彼らとの最後の別れなのか?再会できるのか?
今、一番大事なのは何なのか?
色々悩みながら、万が一の為に
「名古屋の入局管理局」へ息子を連れて行き、日本への再入国ビザを取得した。
赤ちゃんや子供連れの外国人の人々であふれていた。
そして、名古屋の中部国際空港から韓国経由でモンゴルへ行く便のチケットの予約手続きもした。
心が望んでいない物を体が中々受け入れてくれない。
「これは、子供たちの健康の安全を守る為なんだ、だから、君がやっていることは間違ってないよ!」と自分に言い聞かせた。
11日間が過ぎた。
「やっぱり、モンゴルへ一時帰った方がいいようだ。行ってもいい?」
「俺は、出来れば家族と離れたくないんだよなぁ!?」と主人。
電話で色々話し合ってから、里帰りすることを決めた。
...ですが、長い間我慢していた利口そのものの5歳の娘が
「パパに会いたい、家へ帰りたい」と大泣きした時はやはり栃木へ戻ることにした。
すぐに荷物をまとめ、急いで駅へ向う私の心境はいったい何と説明したらいいか?
表現し切れない複雑な気持ちだ。
「子供たちの為に帰るべきか?」判断と直感に迷った。
たどり着いた宇都宮駅で最高の笑顔で迎えてくれた主人が子供たちと両手を繋いで歩く後ろ姿…。
今でも忘れられないホットと安心する瞬間だった。
(故郷や家族、大切なすべてを失った被災地の方々の心を無視し、こんなことを書いている私はすでに人間失格のように思えてならない。どうか、ご理解とお許しください。)
先日「被災地では離婚率が下がり、福島県でその反対だったらしいよ…」.と主人に聞いた。
あの時の気持ちを感じたからこそ、よく分かる気がする。
2011年の「その年の漢字」に選ばれたのは「絆」だ。
私たち人間は、大自然には永遠に勝つことは出来ないけど、
心と心、力と力を合わせば困難を必ずいつかは乗り越えられる。
それが「絆」なのでしょう。
いつか私も大切な誰かを失い、大切な誰かに失われる。永遠に...
...だとしたら、今が私のチャンス(実現できる機会)だ。
「明日やる、後でする...ではなく、今日、今から変わりたい」
「後悔しないように出来る限りの私でいたい」
「優しさと笑顔を大事に思い遣りのある美しい心を持ちたい」
「母に最後にいつ手紙を書いたか」
「主人に最後にいつ愛していると言ったか」」
「子供たちにマフラーを編んであげたことがあったか」
「友だちと話す時の言葉に気を付けよう」
「遣り残しと忘れた大切なことを思い出そう」
そして、この地球が平和であるよう…いつも祈ろう。
心にそう決めた元日の晩であった。
2012年は皆さんにとっても絆がより深まり、笑顔のあふれる優しい一年でありますように・・・。

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